Sunday, April 27, 2014

南モンゴルの現状をどれほど御存知でしょうか

                    南モンゴルの現状をどれほど御存知でしょうか


                                         B.トゥメンウルジー

          (本文は日本でのモンゴル人集会にて行った講演の要旨です。)

 チベットのように身体を焼かず、ウイグルのように血を流さずにいるため、南モンゴル人は溶解して抗議活動もなくなったという見方があります。この見解を最も宣伝したがっているのが、我々を植民地支配している中国です。これは内に向けてはモンゴル人の勇気を鈍らせ、外の世界には「南モンゴルの状態は良好」であり、モンゴル人は中国に心の底から従っているという認識を生じさせ、益々もって国際的な圧力から逃れようとする目的を持っています。この見方を、我々の連帯者となるべきチベット、ウイグルの一部の人々、いくつかの国々、我がモンゴル人の一部までもが、受け入れようとしています。これはとんでもない偏見です。明々白々な時代錯誤です。必死になって「民族問題」ではないと決めつけようとしていること自体が、中国の民族問題、民族対立がどれほど重苦しいレベルに達しているかということを証明しているのです。言い換えれば、中国政府は瀕死の状態になったからこそ、こちら側の問題を取り沙汰して注視するのを止めたということです。身体を焼き、血を流すことだけが闘争の形式であると見てはならず、これこそが効果的な形式であると、ほとんど立証されていないということも我々は考えるべきです。南モンゴルとウイグル、チベットの三国の実情は根本的に異なります。中国人が侵入してきた時期、定着した数、中国との国境の接し方が異なります。このようなことから我々の闘争の形式、時期、段階は、それぞれ異なっているのだと理解できます。我々が、今日のチベット、ウイグルを基準として見て、南モンゴルは終わった、モンゴル人は闘争を放棄したと結論づけるならば、歴史的経緯と現状にそぐわないのです。南モンゴル人は武装闘争を百年以上前から始めて半世紀を経ました。幾千もの中国人を撃滅し、幾百ものモンゴルの若者たちが命を犠牲にしました。中国人を撃滅した数を数えれば今日のチベット、ウイグルとは比べものになりません。その成果のひとつが、今日のモンゴル国の誕生です。よく戦った結果として1947年に、欺瞞的であるとはいえ「自治」という名を冠する行政機構が残されました。戦ったおかげで、言葉、文化と我々の故郷の大部分を保持したのです。我々は自分達を、自分達の業績と歴史を、決して否定してはなりません。事実、1947年以降の「平和」な時代に、南モンゴル人は自分達の山河、言葉、文化、権利のために様々な形で、倦むことなく闘い続けてきたのです。その中で我々のモンゴル学校、モンゴルの出版物、モンゴル文字が存在し続けたのでしょう。このために、我々の、数え切れないほど多くの、名もなきモンゴル人達が汗を流し、血を滴らせ、自由を奪われ、命を奪われました。これこそが我々の真の歴史です。
 チベットとウイグルは宗教を信仰しているが、我々は信仰を止めたので未来がないと結論したがる人もいます。これについて二つのことを言いましょう。
 第一に、我々は宗教を奪われましたが、宗教文化は存続しています。遊牧するのを止めても遊牧民の文化と精神が存続していることと正に同じです。
 第二に、我々モンゴル人にはチンギスという偉大な祖先がいます。「民族主義」が第四の宗教とされている現在、我々はチンギスという宗教を持っていると言ってもよいのです。チンギスの名の下、いつでもモンゴル人は一つになる可能性があります。チベット人がダライ=ラマの旗の下で一致することができるならば、モンゴル人はその偉大な祖先の旗の下で一致できるのです。日本の関西でチンギス祭祀をするようになって何年か経っているのは、非常に素晴らしいことです。しかし、アメリカでは26年目になっています。そこで世界中のモンゴル人が集まり、その機会に知り合いになっています。2013年のアメリカでのチンギス=ハーン祭祀で、ハザーラ、カルムイクの代表、殖民地にされている地域のモンゴル人が、モンゴル国と一つになる問題を前進させたことは、チンギス旗の下に我々が一致しうる兆候、証左と見てよいのです。
 モンゴル人の心が中国人にならないことを、日本であった一つの出来事に見ることができます。南モンゴルの学生達が、学校の統計で、自分を中国ではなくモンゴル国の国民に含めたとフェイスブックに書いています。モンゴル国が中国と関係ない無力な国であることは誰でも知っています。自由な日本でなされた南モンゴルの学生の選択は特別な事例ではなく普遍的なことなのです。中学校で、毎週月曜に中国の国旗に敬礼し、中国の国歌を歌って成長していた時でさえ、自分を中国人ではないと認識していたということは、モンゴル人の心が漢化されず、モンゴル人として生きていたということなのです。。
 南モンゴルの抵抗運動が激化しないでいる原因の一つは、我が母国が、あまりにも密閉された環境にあることです。具体的に言えば、本当に正しい情報を得られず、外に出て世界を見ることが出来ない状態にあるということです。一国一民族が外の世界との繋がりを断ち切れば滅び、繋がれば活気づいて繁栄することを歴史が証明しています。このように中世の明国が我々を何百年も閉じ込めた後、満洲もまた我々を同じくらいの期間、世界から隔離しました。日本は門戸を開いて世界の強国の列に並び、中国も門戸に隙間を空けてから約80年後、それなりに発展しています。しかし、チベット、南モンゴル、ウイグルの門戸を閉じて遮断する政策を厳しく実施しています。今ではチベット人とウイグル人へのパスポート発給をほとんど止めました。南モンゴルがどうして封鎖されているかは、北モンゴル(モンゴル国)との比較ではっきりと分かります。モンゴル国の国民は世界中に広がっています。自由に見聞し、帰国してから祖国を建設しています。このような機会を、中国は我々に与えません。
 喜ばしいことに、約1万人の我々の若者(たしかに南モンゴルの人口と比べれば非常に少ない数です)が、日本で学び、仕事をしています。これらの人々が南モンゴルに、新しい見解、新しい考え方を持ち込むことで、南モンゴルに新しい変化と動きをもたらすというのが、私個人の見解です。第二次世界大戦以前、わずかな人々が日本で学び、その後、彼らが南モンゴルの社会にどれほど大きな影響を与えたかを我々は知っています。今日まで彼らの弟子の弟子達が、全ての産業分野において、主力となって働き続けています。楊海英教授の『墓標なき草原』に出てくる「日本刀をぶら下げた奴ら」は、今や何百ではなく何千、何万人になっているということです。
 あることに我々は注目するべきです。殖民地の鎖から解放された国の多くは、当時の殖民地支配者が自ら変化したことによって自由を得ています勿論これは座して自由を待っていようということではありません。おそらく中国に変化が現れる頃の我々の状況は、チベット、ウイグルよりも悪くはないと思われます。南モンゴルにおける教育を受けた人々の割合がかなり伸びていることが、プラス要因になると私は考えます。実際、我々モンゴル人が独立国を持っていることは、上述の二国よりも有利な点なのです。
 ここ数年間、中国に抵抗する闘争の最前線を牧民達が担っています。2011年の英雄メルゲンの事件に始まり、今年のオラド、エジナの我が牧民達の抵抗がこのことを完全に証明しています。今日の南モンゴルのインテリは役に立っていません。重鎮である長老達が美食して口をつぐみ、牧民達の後の列に並んでいます。インテリ達がいつの日か変わることを私は信じています。彼らは、自分達が得ているものが、自分達が失っているものに遥かに及ばないものであるということを、いつの日か理解するでしょう。その時、我々の抵抗運動は民族全体を巻き込んだものになるでしょう。
 国外にいる抵抗勢力の立場から、いくつか述べましょう。我々の隊列は伸びています。伸びてゆくだけです。これは自然の理です。しかし、我々は正しい活動方法があって成功に至ります。民主と自由のために闘っているのならば民主的な原理原則によって活動するのが正しい選択です。昨年の台北市で南モンゴルの抵抗勢力の主要な人々が集まって『台北覚書』に署名しました。この覚書で「明確にする」活動原則が掲げられました。明確にするということは抵抗勢力の隊列を正常化し、健全に発展、前進させる一つの保証であると私は見ています。一部の問題について、我々は誰にでも考え方を述べて話し合うことができます。誤りと欠点を正し、改めさせて、新しい成果に至ります。このようにすることが、民族の利益に合致します。具体的な活動をすることを重視し、自分の名声や、私的な組織や旗よりも、もっと民族の権利を優先することを考えなければなりません。活動を小さいことと考えず、小さいことから手をつけて活動しましょう。我々は何処に行って何をしても、我々の母国である南モンゴルから離れて考えることはできません。我々の事業の目的は何時でも南モンゴルにあるべきです。
 会合を設けて下さった関西の日本・南モンゴル連帯会議の小滝透さんをはじめ多くの皆さん、東京の「ノタグ・フォーラム」を創始されたE.ホヴィスガルトさん、C.バヤルさんらに感謝申し上げます。
 皆様全員の御成功をお祈りします。
                                         翻訳:メルゲンデルゲル

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